それぞれの地域によって事情は全く異なる。私が関わった地域で、面白いほど違いが顕著な例があったので徒然と考えてみた。結局のところ、地域の発展や幸福度は、地域の活力や共有財産にかかっているのではないか。
十日町市松代
1999年以降現在まで「大地の芸術祭」で関わり続けている地域。トドノツマリが妻有の語源になったように、深い山と豪雪に冬の間の5ヶ月間閉ざされていた雪国の歴史があり、現代アート屋外大規模美術展のさきがけとなった「大地の芸術祭」にかかわった年月が、はからずも12年の定点観測となった。
周囲から距離を置いてゆっくりとした歴史を刻んできた地域に、現代アート美術展が登場した時、松代の方々にとって大変なショックだっただろう。反対派、賛成派含めて、それこそ蜂の巣を突付いた様な大騒ぎとなった。
そんな状況から、「大地の芸術祭」は始まり成功し続けた。成功の理由は、ブルドーザーのように力強いプロデューサーの牽引力だったと思っている。広報に力を入れ、多くの来客が詰め掛け、反対派もいつしか包み込まれ、これを契機として町は大きく様変わりした。
国道は整備され、国道沿いには旧街道から個人商店が軒を連ね、地域初めてのコンビニエンスストアもオープンした。旧街道でまとまっていたコミュニティーは崩れ、旧街道の商店街は見違えるように寂れた。現代アートの広がる地域は、国道と鉄道を挟んで、地域の集落と分断しているため、観客の導線も地域の経済圏として繋がってはいない。地域の祭りなどの文化と、現代アートも隔たりがある。
急激な経済やコミュニティーの変化が生み出した分断は、今後プロデューサーサイドからも融合を図られるだろう。幸いにも、当初から「現代アート」を支え続けてきた地域の人々が、「現代アート」の理解者、応援者となった。突然降ってきた新しい文化は、地域の共有財産として理解され、誇りと成り始めている。そのような地元の方々の発言や行動力によって、融合が加速されていくはずだ。
小豆島町神浦
小豆島三都半島突端、小豆島を左向きの牛に例えると、前足の先に神浦地区はある。初めて「小豆島アートプロジェクト」で訪れた際に感じた印象は、昭和に戻ったような懐かしい集落のたたずまいと、自然がそのまま残った美しい岬と、映画の舞台になりそうな神秘的な雰囲気だった。過疎や高齢化はここでも問題だが、兵左衛門太鼓、小豆島随一の亀山八幡大祭への船での太鼓奉納など、素晴らしい地域の共有財産がある。
「小豆島アートプロジェクト」でここに滞在した藝大生達は、「現代アート」という全く未知の分野にもかかわらず、地元の人々特に元気なご老人達に歓待され、制作に滞在生活に大変にお世話になった。ツマリの最初と似たような状況だが、ここでは「現代アート」に対するアレルギー反応は無かった。直島や瀬戸内国際芸術祭から「現代アート」に馴染んだせいもあったのかもしれない。が、素晴らしい地域の共有財産が既にある誇りとまとまりが、新しいものを受け入れる懐深さになっているとも感じた。今後地域の人々が行政に代わって、「現代アート」を地域の新たな共有財産にしていくために、「発言するアートファン」として積極的に関わってくださると、新しい状況が開ける。状況をツマリの12年、直島の20年と比較するつもりは毛頭ない。地域の人々と、現代アートが幸せな出会い方をしていってくれたらと期待する。
岡山市浜のマンション
現在私が住んでいるマンションは20数年前私が18歳まで住んでいたマンションであり、ひょんなことからまた住むことになってしまった岡山で一二を争う築年数の多いマンションである。
当初は岡山のマンションでは先駆け的存在で岡山の名士も多く住んでいたが、現在は高層マンションも市内に建ち並び、周辺は大きく変わった。内部事情も大きく変わった。賃貸が4分の1、高齢化も進み、老朽化に伴う再整備も多くなった。コミュニティーも成り立たなくなってきて、マナー違反も横行している。
現在縁有って理事会にも所属してしまった。判ったことがたくさんある。不正や癒着の醜聞も聞こえてきた。「どうせ借りているのだから。」「どうせ長くは住まないから。」と個人の都合ばかりを優先することは、モラルとモチベーションの低下となって、理事会の運営に影を落とす。
ここでは何が共有財産となるだろうか?経済価値がそれほど多くなくなってしまっても、住み続ける多くの人々にとっては、共有財産の見出すことは重要な問題だ。共同住宅の場合は共同意識が無ければ、問題への対処、未来への備えが出来ない。理事会は共同意識、コミュニティーそのものである。
中古老朽マンションは全国的な問題だろうし、コミュニティーが維持出来ずスラム化してしまったマンションもあると聞く。そして今ぴかぴかのマンションだとしても、いずれは古くなって経済価値が下がる。
では長く住み続けるには?経済価値=共有財産という判断だけでは、価値が下がる度に移り住むことになる。長く住み続けるためには、経済価値以外の幸福度が必要だということだ。改めてコミュニティーとして、無形の価値=共通財産を創造していかなければならないということになる。
光明が無い訳ではない。住人の奥様達が、茶話会やガーデニングのサークルを作って、子どもや高齢者達のコミュニティーを作ろうとする動きだ。
地域の活力や共有財産は、地域の住民によって育まれる。住民の自治、誇り、共同意識によって培われる。自分都合だけでは、口だけでは、人は幸福になれないという結論になる。我々は何のために共に汗をかき、何を守っていくべきものなのだろうか?