美人

最近、鮮烈に思い出された美人の思い出。
甲斐駒ケ岳の麓、有名なモルトの産地でもある白州でアートフェスティバルが行われていた時分、麓の砕かれた岩は当にお白州のようで、青緑色に澄んだ清流を湛えた神社周辺の河原を、一同で訪れた。ドイツ人招聘女性アーティストが、美しい河原をしばらく眺め、英語であなた方の習慣として気分を害されないか真摯に断りを入れ、2~3秒で全ての服を脱ぎ棄てて冷たい清流に頭から飛び込んだ。均整の取れた体が清流にたゆたう様は、ただ、ただ、眩しかった。一同、あっけに取られ魅了され(負けた気がした。)、正にノックアウトされたのだけど、いやらしさの欠片も無い、天晴な行動だった。

結局、かっこいい女性、かっこいい男性というのは、姿かたちだけではなく、その人の振る舞いや姿かたちに現れる内面を持っている。月並みな落ちだが、それはその人が持っている美学かもしれない。(女性の例えではないが)男の美学、ダンディズムというような。

ダサい大人には成りたくは無いと思いつつ20年上の月日が経ち、美学を持ち続けていられているか自問もする。身だしなみや体形が徐々にだらしなくなって危機感を感じてしまうのだが、この場合それが「どうでもいい。」と思った瞬間そうなるという、心理的なところが恐ろしい。しかし少なくとも、子供たちには私利私欲に走る、ダサい姿は見せたくないとは思っているのだが。それにしても、コネコネの私利私欲ばかり目にする昨今、ダサいのがいっぱいだ。ここに足りないのは、道徳ではない。

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by isaotoshimori | 2017-04-09 13:18 | アート