カテゴリ:忘れえぬ人々( 3 )

兄の死

上手くいったら自分の力、上手くいかなかったら人のせい、というのが人の性。人の言うことが聞こえない、頭を打ったのは自分だった、というのが世の常。

先日、兄が亡くなった。連絡があったのは骨になってからというのは、何ともやるせない。話す機会も得られず、どうしても彼の人生を反芻してしまう。若い頃からやんちゃで、よく苛めらた記憶もある。東京で行かなくてもいい所に行き、酷い目に会って発症。妻子を持つも破綻、ことある度に統合失調症を悪化させ入退院を繰り返し、終に帰らぬ人となった。彼は満足に死んでいったのだろうか?

彼はその病状から、自責反省といったところから少し離れられたかも知れない。自責反省は、痛みがある。そこから離れたとしても、理性がある限り「これでいいのか?」という声から耳を塞げないから厄介だ。そのような葛藤から離れて、国に金銭的に守られ、病院のスタッフにも恵まれ、彼が案外安らかな後半生を送れたのだったら、少しは幸いだ。希望的観測に過ぎないが、冥福を祈る。
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by isaotoshimori | 2016-03-19 11:29 | 忘れえぬ人々

小川巧記氏の死を悼む

先月、小川巧記氏が不慮の事故で亡くなった。彼の代表的な仕事は、愛知万博「愛地球博」と、横浜Y150博のプロデューサーである。切り口は「市民参加」、市民主体で興す創造、社会的事業を盛り上げる仕事だった(ざっくり過ぎるまとめ方をお許し頂きたい。)。私は横浜Y150博でお世話になった。「また、お話したい。」とおっしゃられていたのに、その機会は永遠に失われてしまった。

彼のした仕事は、未来にとってはなくてはならない仕事だったと思う。3.11震災以降のNPO、NGOのめざましい働きは、今や社会に必要不可欠なものとされている。それを思うに付け、彼はその一翼を十二分に担ってきたのだと確信する。

「市民参加」は難しい仕事だ。その難しさは、横浜Y150博の期間中私も十分感じることが出来た。彼らエージェントたちは、市民一人一人と公平に、辛抱強く向き合い、しかも十分な後押しを行っていた。

彼は、過去の万博を「国家の力」、「企業の力」を見せるためのもの、これからの万博は「市民の力」を見せるためのものと見事に切り取っていらっしゃった。しかし「国家」、「企業」に比べて、「市民」自らプレッシャーと向き合い、自発的にブラッシュアップしていくことは難しい課題だ。それを支援するには長期にわたる取り組みが必要で、博覧会という短期的評価もまた難しい。市民一人一人の成果を、どう数値化しどう評価できるというのだろうか。 困難で評価も受けにくいがどうしても必要な仕事、これからますます必要になる仕事だろう。彼のした仕事がもっと評価され、彼のような人材が更に活躍することを祈りつつ、小川巧記氏の早すぎる死を悼む。
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by isaotoshimori | 2012-09-01 18:45 | 忘れえぬ人々

榎倉康二氏

榎倉康二氏は大学時代の恩師です。氏は私たちに対しても、「君たちも作家として扱うから。」といって、同じ目線で話をしていました。自分は作家であるということを基本にして、付き合ってくださいました。意に沿わないことには、「どうぞご自由に。」と言って、さらりと距離をとっていました。

「感応」=「官能」ということをよくおっしゃっていました。氏の作品は物質の存在を強力に打ち出すものですが、おっしゃる意味は「観念」や「言葉」ではなく、「触れ合う」ことではなかったかと思っています。

また「存在の悲しさ」ということもおっしゃっていました。これは、制度や関係にどうしようもなく制約されるのも本来の姿である、ことと理解しています。歩いている足と、地面がある、そして地面には多くの歴史がある、魂がある、ということでしょうか。

氏の紹介で参加した白秋フェスティバルは、野外現代美術展の先駆け的な存在でした。残念ながら氏の没後、解散しました。氏が、繋ぎ手としてとても重要だったことを理解できます。

氏の奥様、榎倉充代氏が自宅の一部を改装してギャラリーを運営していらっしゃいます。http://www.space23c.com です。
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by isaotoshimori | 2006-09-12 10:47 | 忘れえぬ人々