カテゴリ:アート( 20 )

美人

最近、鮮烈に思い出された美人の思い出。
甲斐駒ケ岳の麓、有名なモルトの産地でもある白州でアートフェスティバルが行われていた時分、麓の砕かれた岩は当にお白州のようで、青緑色に澄んだ清流を湛えた神社周辺の河原を、一同で訪れた。ドイツ人招聘女性アーティストが、美しい河原をしばらく眺め、英語であなた方の習慣として気分を害されないか真摯に断りを入れ、2~3秒で全ての服を脱ぎ棄てて冷たい清流に頭から飛び込んだ。均整の取れた体が清流にたゆたう様は、ただ、ただ、眩しかった。一同、あっけに取られ魅了され(負けた気がした。)、正にノックアウトされたのだけど、いやらしさの欠片も無い、天晴な行動だった。

結局、かっこいい女性、かっこいい男性というのは、姿かたちだけではなく、その人の振る舞いや姿かたちに現れる内面を持っている。月並みな落ちだが、それはその人が持っている美学かもしれない。(女性の例えではないが)男の美学、ダンディズムというような。

ダサい大人には成りたくは無いと思いつつ20年上の月日が経ち、美学を持ち続けていられているか自問もする。身だしなみや体形が徐々にだらしなくなって危機感を感じてしまうのだが、この場合それが「どうでもいい。」と思った瞬間そうなるという、心理的なところが恐ろしい。しかし少なくとも、子供たちには私利私欲に走る、ダサい姿は見せたくないとは思っているのだが。それにしても、コネコネの私利私欲ばかり目にする昨今、ダサいのがいっぱいだ。ここに足りないのは、道徳ではない。

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by isaotoshimori | 2017-04-09 13:18 | アート

榎倉康二関連企画展感懐

榎倉康二氏に縁のある人々が集い、展覧会やシンポジウムが開かれたわけだが、色々な思いが沸いてくる。

「梅の小屋」通信、榎倉康二の文章を抜粋して載せる作業を続けるかどうかも、迷いが生じてきた。通信の発端は、太田三郎という美術家がFBで「もの派」のパロディー「のも派」なるものを始めたのがきっかけだった。犬の小便跡や、農作業小屋のビニールシート、植木鉢の形にひっくり返った土の塊などに「もの派」をなぞらえ、それなりに毒の含まれたものだった。世間にそれほど知られているわけではない「もの派」がますます誤解を受けないために、私も何かしなければとそれから思い始めた。それは私の師榎倉康二氏が一応「もの派」の作家とされているためで、榎倉氏が誤解を受けることは私にとって面白いものでは無い。榎倉氏父母が住んでいた「梅の小屋」管理者として、氏の言葉をFBで、次には梅の小屋HPで細々と語録を進め始めた。

そんな経緯だが、太田氏うんぬんどころではなく、美術界というもの、世代間のコミュニケーションも一筋縄ではいかない。榎倉氏も他大学どころか、藝大内部でさえ反発する人が多かった。トップランナーの辛さか、正直な人柄と発言を信頼する人も多い反面、嫉妬する人間も多いのが実情。また、今回改めて感じたのは、世代間の感覚の違いだ。氏の生前の姿を記憶している人は、38歳以下ではほぼいない。現代の20代は、デジタル環境を身体的に受け入れてきた世代だ。彼らはその当時の「もの」「物質」「空間」「世界」をどのように咀嚼するのだろうか。

語録だけ見たところで、誤解が広がるだけではないか?という思いが湧いた。作品が解るということは、検索で出てきた画像を見ることでは無くて、実物を空間で見ることである。つまり作品から直感で受け取ったものが本質であり、それ以上に氏を語れるものはないのだ。語録を続ける私にとっても、それほど報われている気がしない。良くて「危篤な人」、売名行為と揶揄する人もいるだろう。私自身も、自分の専門として作品で意思を訴えていく方がいいのでは?と思うときもある。

それでも私はジャーナリズムやドキュメントの力を信じているので、語録は無駄なものとは思わない。「梅の小屋」が無くなった時、氏の語録がHPとして「梅の小屋」の記憶になるかも知れない。一筋縄でいかないのだから正攻法もなかなか通用しない、ということもわかってつもりだが、なんだか迷いを吐露した。もっと私の意思を発言するべきだったのかも知れない。
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by isaotoshimori | 2016-01-16 15:05 | アート

2016.1個展開催

久しぶりの個展をします。
久しぶりになってしまったことで、作家扱いされないのは仕方がないですが、絵画教室の先生とか、藝大卒の人間はつまらない作品を作るだとか、色々言われるようになりました。「のも派」というパロディーも出てくる顛末。耐え難きを耐え、忍び難きを忍んで、個展で吐き出します。

ただ、画廊のおばちゃんが私のことを「もの派をやっていらっしゃいます。」と紹介していたことは、「まあいいや。」と思って放って置いたのですが、今回はっきり表明します。もちろん、榎倉康二先生は「もの派」の作家とされているのですが、私は「もの派」を目指してはいません。私は、「もの派」は美術史に残った、歴史的評価が定まったと思っています。その時代が生んだもの、だから現存の「もの派」「ポストもの派」作家以外が、今「もの派」を追随しても亜流としか受け取られないことぐらいは、わきまえているつもりです。

今回、榎倉康二先生命日前後、没後20周年ということで今年の10月に、東京でグループ展が3か所で行われますが、私は個展の時期を来年までずらしてもらいました。私はやはり、モダンアート、マーク・ロスコが好きですね。「宗旨替え」ではありません、今回は、個展終了まで途中経過もコンセプトも、公開しないつもりです。
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by isaotoshimori | 2015-08-29 14:25 | アート

榎倉康二氏の、美術書掲載文をアーカイブする理由

小豆島「梅の小屋」に関るきっかけは、榎倉康二氏の姉黄田氏から(榎倉省吾氏千代氏、彼らのご両親が住んでいた)、ここの管理を依頼されたことだった。榎倉省吾氏も榎倉康二氏も美術家だったので、これからも美術関係の方々で維持管理して欲しいとのこと。私は学生時代、榎倉康二氏にお世話になった。現在は岡山に住み、香川県でも幼少期を過ごし小豆島にも色々思い出があったので、私は二つ返事でその依頼を引き受けた。「梅の小屋」には、榎倉省吾氏が亡くなるまでの、榎倉康二氏の記事が掲載された美術書が、そっくり残っていた。榎倉省吾氏と榎倉康二氏は親子で美術家同士なので、親愛の情と刺戟し合う関係だったことが想像出来た。私は、これは榎倉康二氏の歴史を知るいい機会だと思い、その書類を読み始めた。この時点までは、あくまで個人的に。

榎倉康二氏の、美術書掲載文をアーカイブするきっかけは、ある美術家が「もの派」のパロディーをネットに掲載し始めたことだった。始めは面白く思って放っておいたのだが、次第にエスカレートする内容に段々腹立たしく思ってきた。これは誤解が広がってしまう、もう少し皆さんに榎倉康二氏の、或いは「もの派」(作家によって様々な考え方があることも知っているが)のことを知って頂きたいと思い、私自身も彼の美術書掲載文をネットに掲載することを始めた。最近まで「梅の小屋」管轄の警察の書類には、管理者として榎倉康二氏が登録されていたこともあり、御本人が蔵書していた本に、御本人が掲載されていた文章を、御本人が代表になっていた「梅の小屋」関係のネットに載せるのだから、罰は当たらないだろうと勝手に思って始めた。今更ながらだが、関係者方々には御了承いただければ幸いだ。

「もの派」に対して、世間様々な受け取り方が違うことは判っている。1995年以降、美術関係者にとって、「もの派」は攻撃対象であったこともわかった。しかし評論家は、新機軸を打ち出すと同時にそれが攻撃ともなってしまう、そういう仕事なのだ。榎倉康二氏に習った後進作家でさえ、彼との差別化を主張することが、評論家と同じ構造になってしまうのも仕方が無い。私も氏そっくりのことをするわけにいかないので、その構造からは逃れられない。個々人のぶつかりは激しい、融和なんて生易しいものではなく、歴史は反発を繰り返しながら歩む。しかしそれが表現の現場、そして大きくは「表現の自由」ということなのだから。氏の言葉で言えば、「存在の悲しさ」かも知れない。

最後は、私の感情的理由として、氏の視点が大切なものだと信じている、のだ。無位無官の私にとって何が出来るのか?とか、20年以上経つ大昔のことが何の役立つのだろうかか?とか、研究者でもないのだから自己表現にまい進すべきだろう?と言われたり、売名行為と謗られたりする、苦しい思いも正直ある。損か得かというと、得なことは何もないのではないか?とも思う。しかし、損得で割り切れないものがあるのだ。氏の歴史と「梅の小屋」の存在意義が、少しでも現代に生きてくることを願って、(筆不精でなかなか進まないのが、真に申し訳ないのだが)続ける。
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by isaotoshimori | 2015-08-07 11:13 | アート

美術がこれから何処へ向かうか?

今回訪問した大地の芸術祭2015、土と水の芸術祭2015、金沢21世紀美術館「われらの時代」展を訪問し、改めて美術の現在を考えてみました。私が実際に見聞きした美術の歴史は、欧米のモダニズムの名残から、ポストモダニズム、アルターモダン、日本では「もの派」、「ポストもの派」、「シミュレーショニズム」、そして福住廉氏が「バナキュラー」というキーワードを提出しています。「われらの時代」カタログの考察によると、一気に進んだ情報機器(スマートフォンなど)によるコミュニケーションの方法がここ10年で激変したことが大きく影響しているとのこと。

今までは欧米を中心にして、核となる美術ムーブメントが起こってきたが、今目立った動きが無い。個人同士がSNSで繋がるだけではなく、グローバルに各国が特に日本ではアジア諸国が繋がっていっています。それぞれが持っていた差異が、加速的に解消されています。その中で福住廉氏が提唱している、これから起こる動きがあるとすると「肉体的であり地域的である」とする「バナキュラー」という考え方には(彼が企画した、大地の芸術祭2015農舞台での「限界芸術展」は見逃してしまいましたが)頷けるのです。差異逸脱をもくろみ続け、それを噛み砕き続けという、動きを繰り返した美術の歴史からは、もうそこしかないのではないか、という気がしないでもありません。

大都市部と地方と生活した私の感想ですが、大都市部ではそれほどでもないのですが地方では美術自体が経済と共に急激に薄まっていく感があります。それに対し地域制の無いネット空間には次から次へと作品が投稿され、プロアマの垣根、表現方法の違いを易々と飛び越えていきます。私も実際「写真そっくりに描く絵」を、オーソドックスな絵の描き方からはありえないことだと攻撃したこともありましたが、このように「圧倒的に表現者が乱立」するネット社会では、「もの派」、「ポストもの派」、「シミュレーショニズム」はおろか、アウトサーダーアート(余り使われない言葉になりました。)、パロディ、二次創作、写真と絵画の違いもイーブンになっていくのでしょう。そこでは今まで権威であったものさえ変質を余儀なくされる、それぞれがそれぞれの立場で差異(自己表現)を作り出していくことが余儀なくされる、そうだとしたらこれは大変な変化です。

その中で、変わることなく持続的であるもの、それが改めて重要視されるということなのかも知れません。美術がこれから何処へ向かうか?私が言えることは、変化を排除せず自分の出来るところで足掻き続けるということだけです。
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by isaotoshimori | 2015-08-07 11:05 | アート

「Pleasant Days」 Isao Toshimori project in Taiwan 2000

2000年に行った大昔の作品ですが、思い切って公開します。私にも振り返るのにためらう過去があるのですが、戦争経験者がつらい過去に向き合って、懸命に悲惨な経験を伝えようとしていることに背中を押されました。その台湾で2000年にインタビューした映像には、12人の年配者の、台中地震、戦争、若者に伝えたいことが、日本語で収録されています。少々長いので、気楽に見てとはいえ無いのですが、よろしければご覧ください。
https://youtu.be/pkQgCGtwoHM
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by isaotoshimori | 2015-08-07 11:03 | アート

雪舟を訪ねる

今回の旅は、しみじみと沁みてくるといった趣。その感動を備忘録として書き留めておこうと思い、したためる。

雪舟は510年前亡くなった。中央でそれほど活動しなかった。山口を中心に放浪を繰り返し、没したのは山陰島根の西、益田市。人生50年と言われていた時代、46,7歳で京都を離れた。日明船の権利を持つ大内氏を山口に訪ね、明で水墨画の奥義を吸収する強い思いがあったため。帰日後も、応仁の乱以降の戦乱を避け、京都には戻らなかった。名聞利養ではなく、自身の画業を第一とされたという感じである。益田市は美しい里山風景が残る町、逗留期間も長く作庭も含め傑作が多く生み出されている。我々が訪ねたのは益田市と防府毛利博物館。

高梁から新見を抜けて出雲へ、そして益田へ。道中は雨に煙ふる山々に霧がかかって、まさに水墨画の世界の中だった。日本人の気質や情と湿度の関係について、我々は話をした。若い頃、ウェットな感じは余り好きではなかった。最近は子どもが出来たせいだろうか、むしろウェットな感じがしっくり来る。

出雲大社の境内には、豊かな自然の姿がある。絶えず、後ろの山から新鮮な水気を含んだ空気が流れ込み、水が流れている。水墨画も豊かな自然の姿を映す。霧がたゆたい、川が流れ、雪が積もり、まさに画から水が滴るが如くの世界に思えた。そう、日本の豊かな自然は湿潤だ。そして自然をつぶさに捉えようとする、繊細で豊かな感受性も、湿潤な人間性から生まれているような気がする。日本の自然に育まれた日本人なら、そうであっても不思議ではない。日本人の自然観、それが元になっているのだ。

それと共に、観ようとしなければ、少しもその姿を現してくれないのも自然である。雪舟の、禅僧でもある厳しさに相応して、自然観は豊かに広がっていくのだろう、「山水長巻」という晩年の傑作は横幅16mにもなった。揺らぎの無い「硬く枯れた」描線にも、自然との一体感を感じる。巨人である。その自然観も、深く広く圧倒的だった。

物質の豊かさと、自然への豊かな感受性を引き換えにしてしまったか?
痛ましいことが続き、いつの間にか心が乾いてしまったのだろうか?
山陰の旅は、そのような当たり前でありながら、かけがえの無い「自然」と、その豊かな水の世界を思い出させてくれた。
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by isaotoshimori | 2015-04-10 15:45 | アート

プライベート・ユートピア ここだけの場所

久しぶりに岡山県立美術館に行った。巡回の現代アートコレクション、タイトルは「プライベート・ユートピア ここだけの場所」。一見地味だが、それぞれ「噛めば噛むほど味が出る」と言った作品揃い。さすがブリティッシュ・カウンシルのコレクション!

別に派手で大きな作品でなくても、十分評価される土壌があると判った点、ブラック・ユーモアや、それぞれの個人的な世界観から紡がれる「物語」は、アートの大切な持ち味であるという点、収穫だった。「おしりをバットでぶっ叩いて、どっかん!」という笑いも好きだが、ブラック・ユーモアのじわじわ沁みてくる笑いも面白い。映画祭でも、ハリウッドとカンヌでは趣向がかなり違うのだろう。アートフェア会場で早朝動物を放してその行動を追いかけたり、隕石を熱してイギリスの地図を焼いたり、イギリスもまた魅力的に辛辣だ。

こういった現代アートに抵抗を持っている人に、こういう見方はいかがだろう。知的ゲームを楽しむように、現代アートを見るというやり方。子どもが「なぜ?なぜ?」というように、「何を考えているの?」「どうしてこういう表現をしたの?」と思うと、その作家の考えや環境が少しずつ入ってくる。我女房も「わからない。」とか「考えるのがいやだ!」とか言っていたが、どうも大人は色々先入観があって子どものように素直に「なぜ?」と思えないのかも知れない。でも作家の背景、作品の背景は、どうなのだろうと好奇心を湧かせてほしい。社会は様々な考えを持つ人がいて、色々な階層があって、作品を通して我々が暮らしている日常とは違う世界を垣間見せてくれる。知的好奇心は、自分の意識に新鮮なものを吹き込んでくれる。知的エンターテイメントとしての現代アート、いかが?
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by isaotoshimori | 2015-01-16 16:49 | アート

パロディーについて

昨今有名なものに便乗して、ちょっとアレンジして「ああ、あれね!わかるわかる。」みたいなノリで、安易に受けるんじゃないかと思ってパロディーを使う人、増えていませんか?まあ休み時間必ずそういうネタで、人気者になっている中高の学生はいました。そんな軽いノリだから軽く流して、ということなんでしょうかね。

パロディーは冗談から本気までレベルがあると思うのですが、広告宣伝でする場合やプロの場合、一般の方々に面白がられる一方著作権侵害としてきっちりツケを払わされてしまうことがあります。(ちなみに、うちの女房が仕事でしている「ザグザグCM」に関しては、アイデアは当方のものではありませんので、とあらかじめ責任逃れ申し上げておきます。笑)

パロディー作家、マッドアマノ氏も裁判になってしまいました。雪山の写真を撮った写真家白川氏が、その写真に大きなタイヤを転がしたマッドアマノ氏を訴え、マッド氏の有罪。パロディーにもオリジナリティがあれば作品として成立するのでは?と私は思っているのですが、その当初パロディーにはそれほどオリジナリティは認められていませんでした。

もう一人は日本を代表する「パロディー作家」、赤瀬川原平氏。現代ではアートの世界ではそのように他のものを取り入れて作品化することを「アプロプリエーション(盗用)」と言い、権利を主張出来るようになっています。(しかし裁判は格段に増えているようです。)だからアプロプリエーション作家、赤瀬川原平氏と言った方がいいかもしれません。赤瀬川原平は、なんと1000円札を作品化しました。に対して、警視庁が紙幣偽造の罪を問い、裁判になりました。1000円札をモチーフにして流用する方法は、ぎりぎりの線を突いたみごとなアプロプリエーション作品ですが、やっぱり有罪。しかし「東京ミキサー計画」という名著で、アートと法律の立場の違いを明らかにしていました。アート史に残る事件です。(余談ですが、有罪にならなければ、アートを騙る連中が今頃精度のいいコピー機でじゃんじゃん偽札を刷っている事態になっていたかもしれません。)

私も大好きな作家ですが、美術手帳には「資本論」のパロディーを展開、余りに舌鋒が鋭すぎて「本当だと思い込んだ人がいた。」とかで、すぐに休載!すごいなと思うのは、パロディーにする相手が、恐れ多くも「お上」であることが多いのです。でも例としては、中世から庶民に流行る歌や落語、近代からは風刺漫画の存在がありました。批判を潜ませ面白可笑しく皮肉るのは、パロディーの真骨頂かもしれません。自己批判も含めて、対象さえ「にやり」とさせる、或いは「はっ」とさせるのは、すごくハイセンスな作業でしょうね。
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by isaotoshimori | 2014-10-25 12:01 | アート

秋山画廊について

「秋山画廊」は、コマーシャルギャラリーではありません。かと言って、貸し画廊でもありません。現オーナーは、作品を愛し、空間を愛し、作家を応援する姿勢を持っていらっしゃいます。展示が終わった何もない空間には、作品のエネルギーが積み重なった歴史を感じるとも、作家の作品は3回通しで見なければよくわからないとも、現代作家を扱う画廊の経営はとても大変だともおっしゃっていました。画廊は、現オーナーの人生そのものだとも。

学生時代からお世話になっている「秋山画廊」ですが、この度の私の個展で、「秋山画廊」の歴史も含めてお話出来る機会が有り、ここに紹介させて頂きます。代々秋山家は、日本橋高島屋通り向かいで、「滑稽堂」という浮世絵の版元を経営していたそうです。(現オーナーの祖父の代まで。)関東大震災を機に「滑稽堂」を閉じ、神田にお父様が一時期「秋山画廊」を構えられました。その後お父様はご病気になられ引退、現オーナーはそれまでの職を辞し、現代美術の「秋山画廊」を始められました。代々の歴史は、現在の画廊に直接繋がるものはありませんが、現オーナーが環境的に美術に触れてこられたことは、少なからず影響があったことだろうと思います。

現代美術「秋山画廊」が始まった当初、村岡三郎、榎倉康二、遠藤利克という現代作家の重鎮たちが個展をされ、そのことが現オーナーに多大な影響を与えられたそうです。その後も空間系(幾分マッチョな)の展示が多い、という特色が引き継がれていくことになります。日本の70年代80年代の現代美術を語る上では、存在感を益々増している画廊だと思っています。
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by isaotoshimori | 2013-10-21 15:50 | アート