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相模原の事件

相模原の事件は、長男が発達障害を持っている我が家族にとっても、衝撃的だった。妻が心を痛めていることは、憤りだけではなく、世間に迷惑をかけ頭を下げながら生きていかなければならない、といった無言の低下圧力にもなっていた。

なぜか?世間には本音と建前があり、ほとんどの人間は実は障害者を迷惑な存在だと思っている、それが現実だと彼女は言う。これは疑心暗鬼だろうか?私も、世間ではそのような考え方は根強いと思っている。今、通っている保育園の対応からさえ、その空気が読める。しかし私は、まったく卑下する必要は無いと思っている。これは人権の問題より前、命の問題だからだ。

加害者は、未だに反省の弁を持たない。日本のためにしたことだと主張している。いかなる理由があろうとも、他の命を排除することは正当化出来ない。行き過ぎた自己愛、肥大した自己肯定、傲慢という言葉はまだ生易しい。自らは優れ、他は劣っているとし、排除するべきだという論理は、自らが神だ、と公言するに等しい。異常であるか、非常に幼稚であるか、どちらかだ。

被害者遺族が書いたコメントの中で、気になる言葉として、この国は優性思想が根強く、、、であった。優性思想を持つ、それは劣ったものは迷惑な存在であるとすることと同義だ。人間、優劣、損得、比較合理から生まれる意識は根強い。だから、仕方がないというのではない。

踏み込んで言うならば、優性思想は劣等意識とも分かち難く結びついている。優性思想を持つ人間は、裏腹に強い劣等意識を抱える。その捻じれた関係から、優性意識はバイアスが強くなり、現実を直視できなくなる。そして容易にバランスを崩し、モンスター化する。
自己愛、自己肯定とは誰もが持っているもので、そのようになる可能性は誰にでもあるという警鐘でもある。他に対する攻撃性は、劣等意識の裏返しと言えば、他の悪口を言ってすっきりしている人はドキッとするのではないか?我々は皆モンスターを飼っているという事実と同様、物事には両面あり、一面に偏るというのは、実は弱いという事実がある。

偏りは、どこにでも転がっている。
匿名ネットサービスに対する圧力は、内部告発を押さえこむためでもあるだろう。安保法案を推し進める背景は、関連産業が大きく成長することや利権もあるのだろう。円安だけがいいという訳ではないそうだが、円安誘導が続き借金は莫大に増えた。そもそも母数が減少しているのに、変わらない経済成長という目標自体が偏っていると言えないだろうか。私が最も大きな偏りと思えるのが、戦後レジーム脱却として、敗戦劣等国から強い優性国へと急展開する思想。
大きな話のようだが、個人の意識と集団の意識は地続きだ。この国は優性思想が根強く、、、これはそういう意味でも、とても気持ちの悪い感覚を受ける。

優性思想は、抜いた刃で、他の命を排除する。こういうことが事実起こったとも言えるだろう。
多くの場合、排除は弱きをくじき、自らの弱さを穴埋めする卑怯。どんなに論理武装しようとも、排除される側に自分はいないからだ。自分を棚上げにする限り、現実の直視は出来ない。だから、排除する人間より、受け入れる人間の方が強い。弱さを隠すために虚勢を張るより、認めて反省できる方が真直ぐ歩ける。

いずれにしても、偏ったものには必ず反動がある。命の軽視は、自らに向かう。
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by isaotoshimori | 2016-08-27 11:29 | 日日に