「もの派」

私が現在改装中の、小豆島「梅の小屋」には榎倉省吾氏の取っておいた、榎倉康二先生の文献がたくさんあり、それを紐解くと当時の作家の思いが生々しく感じられる。また学生時代から20年余り、先生を通じて知り合った「もの派」の作家達とよく飲み会に同席させてもらった。

「もの派」同時多発、自然発生的に起きてきた、作家群の総称。日本内部より、海外で高い評価を受けている。その作家群の特徴は、物質の力を表現として強力に用いること。身体ともの、ものを取り巻く環境との関係、つまり自分自身の肉体と物質とのデリケートな距離感を、感覚的に表現するものが多い。社会と物質との関わりを深く洞察している。素材をシンプルに扱えば、「もの派」か?いや、素材というより物質を扱うと同時に、自分の身体が、心情の吐露が、美術の表現としての根底にある。

それぞれの作家が個別であること、だから「派」とはいえ曖昧である。それぞれの作家の素材や作品との距離は様々。評論家峯村氏の定義にも、それぞれの距離がある。それぞれが親しく刺激し合い、作家達が同時期に生まれてきたのであって、「派」を立ち上げて足並みを揃えたわけではない。

「もの派」は、時代の産物である。60年代、安保闘争の時代、若き「もの派」の作家達がそれぞれの存在理由を物質の存在に込め、体を張ってぶつかり手ごたえを求めたことが、「もの派」の発端。大量生産大量消費で日本が経済的に豊かになっていった時代、米ソ冷戦という一度戦争が起これば核爆弾によって世界が破滅する恐怖を、人々が共有していた時代、「もの派」は、精神的手応えを、ものに求めた。「もの派」を、物質主義アートと勘違いするのは、間違いだ。彼らの眼差しからは、精神力による自由と感応を感じる。
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by isaotoshimori | 2010-08-07 12:30 | アート