「旅人の迷路」、大地の芸術祭12年目に初めて語ること

「旅人の迷路」について「これだけは言いたい。」ということをまとめた。

「旅人の迷路」で行ったことは、歴史のアッサンブラージュ(引用、貼り付け)であり、「古代の迷路」と「これから生まれる森」を、芸術行為として組み合わせたものだ。我ながら大それたことをしてしまったとは思う。「古代の迷路」と「これから生まれる森」が、長い年月を得て「縄文の」「大地の芸術祭としての」オマージュとして、今後成立していくことを切に願う。

歩いて、その人の身体を通して、わずかにでも「自然」や「古代」の何かを垣間見ることが出来たら、それが迷路を選択した理由だ。また、この地方で出土した国宝の火炎土器の文様と、この迷路の形象の類似性を持っている。

また、森を生み出す必要性について。この地方、どこを見回しても立派な田園や森があるので、わざわざこれから森を作ることは、地元の人にも来客にもほとんど理解されなかっただろう。「新しい森」は、「大地の芸術」という意味のためにこそ、これからの哲学=「梅原猛さんの縄文の思想」のためにこそ、必要だと思う。今の時代、「大地の芸術」とか「縄文の思想」とか言っても、薄ら寒いだけなのだろうか。そうでないことを祈りたい。

中央の坪、迷路の到達地点には、
「時に停まり 時に踏み越え 迷うも振り返らず 歩き続け 今 此に 到る
誰か知る 我 行先を 唯 道行に 幸 多からん事を」
という文面を載せている。
「踏み越え」という一節について、原発事故が起こった今だからこそ言えること。我々自身が多くのものを踏み越えてきたのだということ、我々が踏み越えたくなくても踏み越えざるを得ない時代に暮らしているのだということ、「赤信号が先に点灯していても、アクセルペダルから足を放せない。」社会をそれでも続けていっていいのか?ということ。

そうならないことを願う。「大地の芸術」が意味するものが、「祈り」であれば。
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by isaotoshimori | 2012-09-01 18:42 | アート