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2016.1個展開催

久しぶりの個展をします。
久しぶりになってしまったことで、作家扱いされないのは仕方がないですが、絵画教室の先生とか、藝大卒の人間はつまらない作品を作るだとか、色々言われるようになりました。「のも派」というパロディーも出てくる顛末。耐え難きを耐え、忍び難きを忍んで、個展で吐き出します。

ただ、画廊のおばちゃんが私のことを「もの派をやっていらっしゃいます。」と紹介していたことは、「まあいいや。」と思って放って置いたのですが、今回はっきり表明します。もちろん、榎倉康二先生は「もの派」の作家とされているのですが、私は「もの派」を目指してはいません。私は、「もの派」は美術史に残った、歴史的評価が定まったと思っています。その時代が生んだもの、だから現存の「もの派」「ポストもの派」作家以外が、今「もの派」を追随しても亜流としか受け取られないことぐらいは、わきまえているつもりです。

今回、榎倉康二先生命日前後、没後20周年ということで今年の10月に、東京でグループ展が3か所で行われますが、私は個展の時期を来年までずらしてもらいました。私はやはり、モダンアート、マーク・ロスコが好きですね。「宗旨替え」ではありません、今回は、個展終了まで途中経過もコンセプトも、公開しないつもりです。
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by isaotoshimori | 2015-08-29 14:25 | アート

榎倉康二氏の、美術書掲載文をアーカイブする理由

小豆島「梅の小屋」に関るきっかけは、榎倉康二氏の姉黄田氏から(榎倉省吾氏千代氏、彼らのご両親が住んでいた)、ここの管理を依頼されたことだった。榎倉省吾氏も榎倉康二氏も美術家だったので、これからも美術関係の方々で維持管理して欲しいとのこと。私は学生時代、榎倉康二氏にお世話になった。現在は岡山に住み、香川県でも幼少期を過ごし小豆島にも色々思い出があったので、私は二つ返事でその依頼を引き受けた。「梅の小屋」には、榎倉省吾氏が亡くなるまでの、榎倉康二氏の記事が掲載された美術書が、そっくり残っていた。榎倉省吾氏と榎倉康二氏は親子で美術家同士なので、親愛の情と刺戟し合う関係だったことが想像出来た。私は、これは榎倉康二氏の歴史を知るいい機会だと思い、その書類を読み始めた。この時点までは、あくまで個人的に。

榎倉康二氏の、美術書掲載文をアーカイブするきっかけは、ある美術家が「もの派」のパロディーをネットに掲載し始めたことだった。始めは面白く思って放っておいたのだが、次第にエスカレートする内容に段々腹立たしく思ってきた。これは誤解が広がってしまう、もう少し皆さんに榎倉康二氏の、或いは「もの派」(作家によって様々な考え方があることも知っているが)のことを知って頂きたいと思い、私自身も彼の美術書掲載文をネットに掲載することを始めた。最近まで「梅の小屋」管轄の警察の書類には、管理者として榎倉康二氏が登録されていたこともあり、御本人が蔵書していた本に、御本人が掲載されていた文章を、御本人が代表になっていた「梅の小屋」関係のネットに載せるのだから、罰は当たらないだろうと勝手に思って始めた。今更ながらだが、関係者方々には御了承いただければ幸いだ。

「もの派」に対して、世間様々な受け取り方が違うことは判っている。1995年以降、美術関係者にとって、「もの派」は攻撃対象であったこともわかった。しかし評論家は、新機軸を打ち出すと同時にそれが攻撃ともなってしまう、そういう仕事なのだ。榎倉康二氏に習った後進作家でさえ、彼との差別化を主張することが、評論家と同じ構造になってしまうのも仕方が無い。私も氏そっくりのことをするわけにいかないので、その構造からは逃れられない。個々人のぶつかりは激しい、融和なんて生易しいものではなく、歴史は反発を繰り返しながら歩む。しかしそれが表現の現場、そして大きくは「表現の自由」ということなのだから。氏の言葉で言えば、「存在の悲しさ」かも知れない。

最後は、私の感情的理由として、氏の視点が大切なものだと信じている、のだ。無位無官の私にとって何が出来るのか?とか、20年以上経つ大昔のことが何の役立つのだろうかか?とか、研究者でもないのだから自己表現にまい進すべきだろう?と言われたり、売名行為と謗られたりする、苦しい思いも正直ある。損か得かというと、得なことは何もないのではないか?とも思う。しかし、損得で割り切れないものがあるのだ。氏の歴史と「梅の小屋」の存在意義が、少しでも現代に生きてくることを願って、(筆不精でなかなか進まないのが、真に申し訳ないのだが)続ける。
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by isaotoshimori | 2015-08-07 11:13 | アート

美術がこれから何処へ向かうか?

今回訪問した大地の芸術祭2015、土と水の芸術祭2015、金沢21世紀美術館「われらの時代」展を訪問し、改めて美術の現在を考えてみました。私が実際に見聞きした美術の歴史は、欧米のモダニズムの名残から、ポストモダニズム、アルターモダン、日本では「もの派」、「ポストもの派」、「シミュレーショニズム」、そして福住廉氏が「バナキュラー」というキーワードを提出しています。「われらの時代」カタログの考察によると、一気に進んだ情報機器(スマートフォンなど)によるコミュニケーションの方法がここ10年で激変したことが大きく影響しているとのこと。

今までは欧米を中心にして、核となる美術ムーブメントが起こってきたが、今目立った動きが無い。個人同士がSNSで繋がるだけではなく、グローバルに各国が特に日本ではアジア諸国が繋がっていっています。それぞれが持っていた差異が、加速的に解消されています。その中で福住廉氏が提唱している、これから起こる動きがあるとすると「肉体的であり地域的である」とする「バナキュラー」という考え方には(彼が企画した、大地の芸術祭2015農舞台での「限界芸術展」は見逃してしまいましたが)頷けるのです。差異逸脱をもくろみ続け、それを噛み砕き続けという、動きを繰り返した美術の歴史からは、もうそこしかないのではないか、という気がしないでもありません。

大都市部と地方と生活した私の感想ですが、大都市部ではそれほどでもないのですが地方では美術自体が経済と共に急激に薄まっていく感があります。それに対し地域制の無いネット空間には次から次へと作品が投稿され、プロアマの垣根、表現方法の違いを易々と飛び越えていきます。私も実際「写真そっくりに描く絵」を、オーソドックスな絵の描き方からはありえないことだと攻撃したこともありましたが、このように「圧倒的に表現者が乱立」するネット社会では、「もの派」、「ポストもの派」、「シミュレーショニズム」はおろか、アウトサーダーアート(余り使われない言葉になりました。)、パロディ、二次創作、写真と絵画の違いもイーブンになっていくのでしょう。そこでは今まで権威であったものさえ変質を余儀なくされる、それぞれがそれぞれの立場で差異(自己表現)を作り出していくことが余儀なくされる、そうだとしたらこれは大変な変化です。

その中で、変わることなく持続的であるもの、それが改めて重要視されるということなのかも知れません。美術がこれから何処へ向かうか?私が言えることは、変化を排除せず自分の出来るところで足掻き続けるということだけです。
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by isaotoshimori | 2015-08-07 11:05 | アート

「Pleasant Days」 Isao Toshimori project in Taiwan 2000

2000年に行った大昔の作品ですが、思い切って公開します。私にも振り返るのにためらう過去があるのですが、戦争経験者がつらい過去に向き合って、懸命に悲惨な経験を伝えようとしていることに背中を押されました。その台湾で2000年にインタビューした映像には、12人の年配者の、台中地震、戦争、若者に伝えたいことが、日本語で収録されています。少々長いので、気楽に見てとはいえ無いのですが、よろしければご覧ください。
https://youtu.be/pkQgCGtwoHM
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by isaotoshimori | 2015-08-07 11:03 | アート